本日2件目のご依頼は版画や画集の買取りでした。
大輪の花が描かれた「奥村土牛」の木版画や穏やかな湖畔の光景が描かれた「小林和作」の木版画の他、「伊東深水」や「上村淳之」の作品などをお譲り頂きました。
各作品とも大切に扱われたようで状態も良く、お客様のご満足いただける金額をご提示できました。
ありがとうございました。
本日、昼頃までは穏やかな日和でしたが、夕方になると強い風が吹くようになり冷え込んできました。
明日からはまた寒い日が続くようですので、体調には留意が必要となりそうですね。
なお、下記に作者の経歴を記載させて頂きます。
【奥村土牛】
明治22年 東京都京橋生まれ。日本画家。本名は義三。
明治38年 16歳で梶田半古塾に入門。後に塾頭の小林古径に師事。
大正 6年 28歳の時、父の経営する書店から「スケッチそのをりをり」を出版。
この時から雅号「土牛 とぎゅう」とする。
丑年生まれの干支に因んで父が、中国寒山詩の中の「土牛石田を耕すから選び、命名したもの。
昭和 2年 「胡瓜畑」が院展初入選。
昭和 4年 「蓮池」院展出品 (美術館所蔵)
昭和 5年 「枇杷と少女」院展出品 (美術館所蔵)
昭和 7年 日本美術院同人に推挙される。
昭和11年 「鴨」が帝展で推奨第1位となる。
昭和19年 「信濃の山」を文展に出品し、政府買上げとなる。
家族を長野県臼田に疎開させる。
昭和22年 帝国芸術院(現・日本芸術院)会員に推挙される。
この年の11月、長野県南佐久郡穂積村(旧八千穂村)に移る。
昭和26年 疎開先の信州から杉並区永福町に転居する。
昭和32年 兄弟子で恩師の小林古径逝去。
昭和33年 「鳴門」を院展に出品。 昭和37年 文化勲章を受章する。
昭和47年 「醍醐」を院展に出品。
昭和49年 自伝「牛の歩み」を日本経済新聞社から出版。
昭和53年 日本美術院理事長に推挙される。
昭和55年 東京都から名誉都民の称号を贈られる。
昭和62年 山種美術館と京都市美術館において白寿記念展が開催される。
昭和63年 白寿を記念して、天皇陛下より銀杯三ツ重、皇太子殿下より御所の紅白梅を賜る。
平成 2年 5月20日 長野県八千穂村に「奥村土牛記念美術館」が開館。
9月25日 逝去。101歳7ヶ月。従三位に叙せられる。
以上、略歴引用
【小林和作】
1888年 山口県に生まれる。
1904年 京都市立美術工芸学校絵画科に入学。
1908年 日本画家の川北霞峰に入門。
1910年 第4回文展に「椿」を出品し初入選。
1913年 第7回文展に「志摩の波切村」を出品、褒状を受ける。
1918年 この頃洋画に転向、鹿子木孟郎の画塾に通う。
1924年 第2回春陽会展に初入選。
1925年 第3回春陽会展で「伊豆風景」ほかが春陽会賞受賞。
1926年 第4回春陽会展で「軽井沢の春」ほかが春陽会賞受賞。
1927年 春陽会会員となる。
1934年 独立美術協会会員となる。
1953年 芸術選奨文部大臣賞受賞。
1971年 勲三等旭日中綬章受章。
1974年 死去。
以上、略歴引用