飾らなくなった絵画と不用品の引き取りのご連絡を頂きました。
額縁に入った作品とシートで保管された版画や色紙の引き取りのご依頼でした。
雪景が描かれた「酒井三良」の版画(リトグラフ) や可愛らしい河童が描かれた「萩原楽一(萩原光観)」の水彩画(色紙)などをお譲り頂きました。
お客様は引き取りの処分料が必要になるとご心配されていたようで、買い取り金額を提示させて頂くとお喜び頂きました。
ありがとうございました。
なお、参考として下記に作者の略歴を記載させて頂きます。
【酒井三良(さかい-さんりょう)】
明治30年2月16日生まれ(福島県出身)
大正-昭和時代の日本画家。
坂内青嵐に師事し,大正8年国画創作協会に初入選。
小川芋銭(うせん)の勧めで10年「災神を焼く残雪の夜」を院展に出品し,入選。13年日本美術院同人となる。
昭和37年院展で「かまくら」により文部大臣賞。
昭和44年6月8日死去。72歳。
以上、資料引用
【萩原楽一(萩原光観)】
昭和元年、東京浅草に生まれる。本名は敏雄。別に楽一の号あり。
俳画、漫画を北沢楽天、版画を関野準一郎、洋画を野間仁根に師 事する。
昭和21年「二科展」に入選。以後、連続5回入選する。
昭和22年「日本版画協会展」入選。のち会員に推挙される。
昭和28年「郵政大臣賞」受賞。翌年より三越本店において版画指導を実演する。
昭和30年「一陽会」創立に参画し、同展において各賞を受賞する。
昭和37年以降「全日本各版画展」の審査員を歴任。
欧米各国の美 術館およびコレクターに、多数の作品を収蔵される。
昭和39年「東京オリンピック委員会」より、日本代表版画作家として作品の製作を委嘱される。
同年、高幡不動尊のために「鳴き龍」の大ノボリ(16m×5m) を描く。
昭和45年「日本万国博覧会」の賞状を、版画で作成するように委嘱される。
昭和48年、天皇・皇后両陛下金婚記念「皇居盆栽展」に際して宮中に参内し盆栽「五葉松」(名称:三代将軍)の版画を謹製。ポスターとなる。
同年、衆議院より委嘱されて長谷川四郎代議士(副議長・農林大臣等歴任)の肖像画を描き、国会議事堂に掲げられる。
昭和45年以降、月刊GALの表紙、釈迦伝(高橋信次著)の挿絵 を描く。
他に、「学生書海」「サトウハチロー木曜会誌」等の表紙画、日光輪王寺に奉納された八畳敷きの「福河童」、台東区立松葉小学校の 壁画、浅草観光連盟のカレンダー等がある。
以上、資料引用