引っ越しのための品物整理のご依頼で伺いました。
夕日に照らされた穏やかな京都の街並みが描かれた「井堂雅夫」 の作品や、情緒豊かな雪景が描かれた「奥山儀八郎」などの木版画の他、藤田不美夫の版画などをお譲り頂きました。
伝統的な日本らしい自然の姿や街並みが描かれた作品など、何処となく郷愁を覚える風情のある作品を数多くお譲り頂きました。
ありがとうございました。
なお、下記に作者の経歴を記載させて頂きます。
【井堂雅夫】
1945年 中国大陸東北部にて生まれる
1946年 岩手県盛岡市へ移る
1959年 上洛
1961年 伝統工芸士(染色家) 吉田光甫に弟子入り
1965年 ごろから、染色家として活動しつつ、木版画の勉強をはじめる
1971年 日展評議員(染色家) 大坪重周に師事
1973年 日本版画協会入選 日動版画グランプリ入選
1975年 以降は公募展には出品せず独自の活動を展開
1994年 岩手県花巻市にアトリエを開設
2000年 NHK教育テレビ「趣味悠々」(1~3月)出演
2002年 「京都百景」に着手
2003年 日本郵政公社 近畿版ふるさと切手「京の催事」原画制作
2004年 「京都もの創り作家の会」設立
以上、略歴引用
【奥山儀八郎】
1907年山形県西村山郡寒河江町(現・寒河江市)に生まれる。
子供の頃から木版画に親しみを持ち、1928年に日本創作版画協会展に初入選を果たした。
同年その技量を買われて日本毛織宣伝部の広告作家として数々の商業広告を手がけ、後に大高重治とともにニッカウヰスキーのポスター・ウイスキーラベルのデザインも制作した。
1936年に浮世絵研究家の石井研堂に師事し、伝統的技法の復興に注力した。
また、自らのコーヒー好きが高じて歴史等を研究しコーヒーの多様な呼び方を表した木版画「かうひい異名熟字一覧」を制作した。
金田信武の株式会社金田商店の代表的作家として活躍した後、1949年から1952年、千代田区神田小川町で自ら日本版画研究所を運営し、新版画といわれる浮世絵と同様の彫師、摺師による分業制作の木版画を創り始める。
1954年には松戸市下矢切に自宅と工房を開設し、住居周辺を題材にした作品を制作した。
1965年には伊藤左千夫の小説を記念にした野菊の墓文学碑を自宅近くの西蓮寺に建てることの発起人となった。 西連寺の一室には彼の版画が10数点展示されている。
1981年10月に74歳で死去。
以上、略歴引用